自己紹介その1(始まりのきっかけ)

はじめまして。アートワイヤージュエリープロフェッショナルスクールを運営するAWJ代表のショウ ヨリコです。

自己紹介をさせてください。

2022.5.25現在

ショウ ヨリコとは本名ではありませんが、旧本名を庄 依子と申しまして、10年以上それで活動していましたが、現在、カタカナ表記をペンネームとしております。

1977年茨城県日立市生まれです。この地球のこの時代の日本人の女性として生まれ、アーティストとして生きていられる幸せに、心から感謝している今日この頃です。

AWJというのは「アートワイヤージュエリー」の略で、今は屋号として使っています。「アートワイヤージュエリー」とは私が自分の作品のジャンルとして自ら考えて掲げている名称であり、もともとそういうジャンルがどこか別のところで確立しているというわけではありません。

「ワイヤーアートジュエリー」等、似た名称を掲げて活動していらっしゃる作家さんもいらっしゃいますし、アート+ワイヤー+ジュエリー という、一般名称の羅列にすぎないので、「アートワイヤージュエリー」という名称を当方で占有できるわけではありません。

だからどなたでも、「アートワイヤージュエリー」を標榜してよいのです。

ただ、「AWJ」という名称は商標登録しておりますので、「たくさんあるアートワイヤージュエリーの中でも、AWJっていいよね~」と言っていただけるような存在になることを目指しています。

ワイヤーとの出会いは19歳~20歳くらいの時です。

小さいころから図画工作が好きで得意ではありましたが、なぜかアートよりも「心」の事に関心が高く、美術系の学校ではなく心理系の学科のある大学に行きました。しかし、将来に対するはっきりしたイメージがなく、とりあえず心理カウンセラーになれたらいいのかな?と。

しかし、いくら本を読んでも授業を聞いても、自分にとっての「これ」といったものをつかむことができず、また、将来に対する明るい未来を描くことがまったくできず、失意の4年間を過ごしてしまいました。(もちろん、全て無駄というわけではなく、貴重な出会いや学びもありましたが)

しかしその失意の学生生活の中で私を元気づけてくれたのが、なんとなく始めたワイヤーアクセサリー作りでした。

ある時、お友達が身に着けていた、ビーズとワイヤーでできたおもちゃのような、シンプルな、でも言い表すことのできないほど素敵な指輪を目にしました。

その方のおしゃれで可愛らしい雰囲気にものすごく合っていたこともあり、なんて素敵なんだろう!と感動したのがきっかけです。

そしてなぜか、自分も欲しい!ではなく、自分でも作れるかも!という思考になり、家にあった錆びかけた無骨なラジオペンチ一本と、たまたまあったステンレスワイヤー(それも太い20番のみ)で作ってみたのが始めです。

実物は紛失しましたが、再現するとこんな感じです。

え?・・・コレ? と思いますか? でも私はこれで、泣きたいほど感動してしまったんです。原点はコレです。

そこから使う材料や道具も幅が広がっていって、「石をどのようにくるめるかな?ボタンを使ったらどんな感じかな?ワイヤーの太さを変えたらどんな感じかな?」と、作品の幅が少しずつ広がり、学業そっちのけで夢中になっている自分がいました。(この楽しさは、ワイヤー細工にはまっているすべての方に共感していただけるものと思います)

でも、刻々と学校の卒業が迫ってきています。進路が決まらない、就職はあんまりしたくない、結婚もまだいやだ・・・どうしよう・・・というもやもやした状況を打破したくて、「よし、最後の学園祭は、思い出に残るような思い切ったことをしよう!」と決意しました。

そこで、学園祭で、ワイヤーで作った小さな小さなイヤークリップや指輪を売ってみました。

1つ100円から200円でした。ただただ好きでたまらなくて、遊びで始めたことの延長なのですが、人垣ができて、飛ぶように売れました。それで、6万円ほどの収入になりました。学生にとっては大金です。長い間、進路に答えが出なくて苦しんでいた灰色の日々に光明が差したと思いました。

また、何を思ったのか当時大好きだったイギリスのコメディアン「ミスタービーン」のコントを真似して、ミスタービーンの変装をし、誰にも内緒でこっそり練習を重ね、学園祭のパフォーマンスコンテストで独り芝居をし、なんと優勝するという経験もしました。

決意して行動すると、それなりの成果がでるんだな、という、小さな、でもその後の人生に関わる決定的な成功体験でした。