自己紹介その2(地べたから銀座個展開催まで)

そういうわけで、特に深く考えずに、これでやっていけるような気になってしまいました。

世間の常識から見ると恥ずかしいことかもしれませんが、親のすねかじりを決め込んで、ニート生活をしながらワイヤーで装身具を作ることの試行錯誤を重ねました。

ありがたいことに親のおかげで生活に困ることはなかったのですが、

自分で勝手に感じてしまっているうしろめたさとか、根拠のない自信と自己不信との間をジェットコースターのように行きつ戻りつすることによる疲労困憊、世間とずれた生き方をすることで感じる圧倒的な孤独感など、精神的には長い間、かなり苦労してしまいました。

(今でいうHSPという精神気質に合致するタイプの人間です。この頃にこの概念を知っていれば、もう少し生きやすかったのではと思いますが・・・)

「どこかに弟子入りとか、修行に行かなくていいの?」と言われたこともあり、そうできたらどんなにいいだろう、とも思ったりもしましたが、どういうわけか、

「私のやりたいことは世界のどこに行っても誰からも教えてもらえないはずだし、自分で開拓していくしかない」という、信念みたいなものが私の中にあって、

それは、どんなに情けなく自信のない時期でも変わることがありませんでした。

地元の商店街のフリーマーケットで地べたに座って売ってみたり、お友達や親の知り合いにカタログを配って注文をいただいてみたり、

声をかけられた雑貨屋さんで委託販売をしてみてもらったり、ちょっと勇気を出して水戸のおしゃれな雑貨屋さんに売り込んで販売してみてもらったり、

稚拙ながらもホームページを自作して売ってみたり、地元商店街のチャレンジショップ(地域活性化事業の一環で市から家賃補助をいただいていました)に出店してみたりと、

小さな挑戦を、不器用ながらも、だれからも評価されずとも、一生懸命やっていました。

チャレンジショップに出店していた24歳の頃、大学で同期だった人がたまたま訪れたことがあり、「え?よりちゃん?まだコレをやってたんだー???」と目を丸くされたことがあります。私がそれから20年以上たった今でも続けているとその人が知ったら、どんな顔をするんでしょう(笑)

そうしているうちに25歳の頃、あるお客さんから、とんでもない朗報が飛び込んできました。その方が私の作品の指輪を身に着けて銀座4丁目の教文館ビルの4階の雑貨屋さんに行ったら、社員さんから声をかけられ、「その指輪どこでお求めになったんですか?」と聞かれたので、私の話をすると、お店に連れてきてくれるよう頼まれたというのです!!!

当時(今もあまり変わりませんが)私は世間に極端に疎いド田舎娘でして、銀座など行ったことがありません。「銀座通り」といえば地元日立市の商店街「銀座通り」しか知らず、その名の由来となった正真正銘の本物の銀座が東京にあるということも、実は知りませんでした^^;

もちろん有名な4丁目の時計台の映像などはテレビなどで目にしたことはあると思うのですが、まったく興味を持ったことがなかったのですね・・・(怒られてしまいますね(笑))。

今思えば赤面ものではありますが、取り繕っても仕方がありません。そのまんまの無防備な素直さで銀座のお店に連れていってもらいました。それが逆に新鮮だったのでしょうか、信じられないほどラッキーなことに、そのお店で委託販売をさせていただくことになったのです。

もともとは地べたで100円で作品を売っていた人間、そこで子供からお小遣いで買ってもらっていたような田舎者が、数年経ったらいきなり銀座4丁目です。

ありがたいことにそこで販売を続けていただく中で27歳の時、職人としての自分に飽き足らず、作品の未知の可能性に挑戦したくて、そこのギャラリーで個展をさせてもらいたいと相談したのです。本当に怖いもの知らずだったなあ、と、今思うと本当に信じられない思いですが、当時の私はそれになんの抵抗も感じず、至極当然な流れのような感じで申し出たのでした。

「私がやらずに誰がやる」という、傲慢な思いからではなく、使命感みたいなものがあったと思います。

そしてこれまた信じられないほどラッキーなことに、若干27歳にして、銀座4丁目の教文館のギャラリーで個展をさせていただくことができました。ゴージャスなティアラとネックレスのセットを見せ作品として、販売する小物としてエレガント、ゴージャス、キュート、シンプル、マニッシュ、様々なテイストのものをこれでもかと表現しました。

お客さんから「ここでは何人の作家さんの作品を展示しているのですか?」と聞かれたこともしばしばです。私の雰囲気が幼い、もしくは田舎っぽいせいなのか、お手伝いさんかと思って気安く声をかけた後、私が作家本人と分かって慌てて態度を変えた方もいらっしゃいました。(態度変えなくてもいいのに^^;)

8回目の個展の様子

当時私のことをとてもとてもひいきにしてくださった社員の方のおかげもあり、なんとそこで、(結婚するまでの間)8回も個展をさせていただくことができたのです。

その方の退職と、私の結婚と出産が重なったこともあり、教文館とは疎遠になりましたが、当時の経験はとても有難いもので、関係者の皆様には心より感謝しています。

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