「立体の絵画」の元祖

「身に着ける立体の絵画」とコンセプトを掲げながらアートワイヤージュエリーを作り続けてきた私ですが、ある時、それよりもはるか前から「立体の絵画」というコンセプトを掲げ続けてきた、芸術的な手芸があることを知りました。

その名は「深雪アートフラワー」

https://miyuki-st.co.jp/

戦後、飯田深雪さんという方が始めた、布で作るリアルな造花で、日本が世界に誇る芸術文化の1つです。

深雪さんと、娘の倫子さんが中心となり、戦後の高度成長期と重なるように、作品もスクールもどんどん発展して、多くの会員、師範を輩出、毎年のように高級デパートで華々しい展示会、迎賓館にも飾るようになり、国内だけでなくフランス政府など各国からも数々の勲章を受けられました。深雪さん、倫子さん亡き現在も、お弟子さんたちが健在で、展示会など開催されています。

実は私の母方の亡き祖母は、深雪アートフラワーの師範資格を持ち、自宅で教室を開催していました。

私は幼いころから祖母がアートフラワーの教室をやっているのをそばで観ては、ある時は(花びらにカーブを作るための)焼きごてを触って指にやけど、大泣きをした覚えがあります。

しかし、そのアートフラワーが「立体の絵画」というコンセプトを掲げていることは(本当に)まったく知らないでいたので、ある時私が「身に着ける立体の絵画」というコンセプトをふっと思いついた時には、深雪アートフラワーのことはまったく意識していませんでした。

もしそのことを知っていたら、そのようなコンセプトは、おこがましくてつけることができなかったかもしれません。

2015年に私が鎌倉で開催した個展で、深雪アートフラワーの本部に近い師範の方が偶然(?)観にいらして、その方から大変評価していただいたのですが、その際に、「『立体の絵画』というのは深雪アートフラワーの掲げてきたものである」、ということを教えていただき、愕然としました。(小さいころから慣れ親しんでいたはずなのに、そんな重要なことを今更知るなんて・・・!)

ちなみに、その頃には祖母は足腰が悪く鎌倉には来てもらえなかったので、本部に近い師範の方に褒められたよ!と、自慢しました。

その祖母は今年の1月に98歳で亡くなりました。笑顔が素敵で優しいけれど、言葉の厳しい祖母でした。いつまでたっても就職も結婚もしない私を特に心配し続けて、私のやることを「どうせやめる」「あんたの作品に需要はあるの?」「あんたの作品には色がない」等々・・・その度に悔しくて、見返したい思いでがんばってきました・・・。

その祖母が、一昨年に私が作った作品写真集を手放しで褒めてくれ、知り合いという知り合いに宣伝しては売ってくれました。20年越しに初めて認めてもらえたような感じで、本当に、嬉しかったです。

そんな祖母の遺品整理をしていて、ラッキーにも棚深くしまわれていて色あせていないアートフラワー作品がありました。

少なくとも10年以上前の作品だと思うのですが、まるで作り立てのみずみずしさを感じます
なんという花びらの豪華さ。「ルドゥーテの薔薇」かしら?
こんなリアルなしべや花びらの感じを、こんなに絶妙に繊細に表現していたなんて・・・

花びらも葉っぱもガクも、一つ一つ刷毛などで色を染められています。たくさんの染料を小皿に出し、グラデーションを表現し、乾かして、様々な形の焼きごてで絶妙な凹凸を創り出し、たくさんのパーツを丁寧に糊で組み立てていたのを思い出します。

作品を観ていると、祖母の真剣なまなざしと息遣いが思い出されます。色を染める時、今度こそ思い通りの色になるかしら?とか、出来上がるかどうかのドキドキ感、出来上がった時の達成感は、いかに素晴らしく楽しいものだったことでしょうか・・・

戦後、焼け野原から出発した深雪アートフラワーが、美を渇望していた人々に受け入れられ発展し、世界に大きく飛躍したのは納得です。日本人の手先の器用さがなせる技とも思います。

大量生産の造花とはまったく違います。まさに「立体の絵画」。

なぜかアートフラワー作りには興味を持てなかった私ではありますが、スピリット的なものは無意識の内に受け継いだのかもしれず、それが奇しくも似たようなコンセプトとなって浮上したのかもしれません。今、気が付いたことに、「アートワイヤージュエリー」も「アートフラワー」に似ていますしね^^;

おばあちゃん、今まで本当にありがとう。あの世からも見守ってね。

約20年前の祖母と祖母の愛犬と私。シャキッとして元気なおばあちゃんでした。